玉雲寺は、「日本の都市公園100選」のひとつに選定され、春には約90種約1000本の色とり どりのさくらが開花し、「桜の名所」としても知られている「落合公園」の西にあります。
命をつなぐ・命をおくる
玉雲寺では、「命をつなぐ・命をおくる」を信条に、保護猫譲渡会活動や、かけがえのない家族であるペットの個別火葬から葬儀・法要までご家族の思いに寄り添った供養をとりおこなっております。
玉雲寺縁起
曹洞宗 松原山 玉雲寺
玉雲寺は、永正年間天明六年(1504年~1521年)「玉叟道珎庵主」が創建し、当時このあたりには天台宗密蔵院(熊野町)傘下の寺堂 が多数あり、当初は天台宗に属し、御社後寺・本徳寺・阿弥提寺・松原院等の五ヶ寺が合併されて玉雲寺となる。天明6年(1786年) 回録の厄があり、伽藍を焼失する。織田信長の比叡山焼き討ちを契機に、天台宗の勢力が衰退するとともに、天台宗を離れ曹洞宗に移 行。初代「全山紹道和尚」が寛政四年春(1792年)再建し、小牧市大草曹洞宗福厳寺より福厳寺五世「寶国是璨和尚」を開山に招し 曹洞宗となる。開基「玉叟道珎庵主」開山「寶国是璨大和尚」傳法初祖「全山紹道大和尚」二世「玉峰全明大和尚」三世「智潭元水 大和尚」四世「春隆豊牷大和尚」五世「全底喝宗大和尚」六世「曹巖愚溪大和尚」七世「祖岳靈道大和尚」八世「龍門潭底大和尚」九 世「光林玉堂大和尚」十世「大林孝道大和尚」十一世「大愚清孝大和尚」十二世「大法尚寛大和尚」十三世現住職「清学宗広」に至 る。
薬師堂建設の由来
下原には、昔から字南木戸二〇四九番地と字畳場一九三一番地の昭和四十三年都市化がすすみ、埋葬禁止となり野墓の必要性がなくなり、一つは東野土地区画整理地、他は病院敷地と姿をかえ、その処分費用をもって納骨堂を兼ねた薬師堂を建立し檀家様のお遺骨を納め供養しています。
手を合わせて
無心に拝むと
無我謙虚な心になる
心が清らかに澄む
心が引き締まる
曹洞宗とは
今から八百年ほど前の鎌倉時代、道元禅師(どうげんぜんじ)が正伝の仏法を中国から日本に伝え、瑩山禅師(けいざんぜんじ)が全国に広められ曹洞宗の礎を築かれました。このお二方を両祖と申し上げ、ご本尊 お釈迦さま(釈迦牟尼仏)とともに一仏両祖(いちぶつりょうそ)として仰ぎます。また、お釈迦さまより歴代の祖師(そし)方によって相続されてきた「正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。 そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します。)の生活に安住し、お互いに安らかでおだやかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていこうというのです。
本 山
曹洞宗には本山が2つあります。ひとつは福井県にある永平寺(えいへいじ)、ひとつは横浜市にある總持寺(そうじじ)です。これを両大本山といいます。両大本山は曹洞宗寺院の根本であり、信仰の源であります。
曹洞宗の教え
私たちが人間として生を得るということは、仏さまと同じ心、「仏心(ぶっしん)」を与えられてこの世に生まれたと、道元禅師はおっしゃっておられます。「仏心」には、自分のいのちを大切にするだけでなく他の人びとや物のいのちも大切にする、他人への思いやりが息づいています。しかし、私たちはその尊さに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくってしまいがちです。お釈迦さま、道元禅師、瑩山禅師の「み教え」を信じ、その教えに導かれて、毎日の生活の中の行い一つひとつを大切にすることを心がけたならば、身と心が調えられ私たちのなかにある「仏の姿」が明らかとなります。日々の生活を意識して行じ、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方といえましょう。
アクセス方法
名古屋方面からお越しの方
19号線を多治見方面へ
六軒屋町(交差点)を左折して弥生線に入る
東野町2(交差点)を右折して県道196号に入る
左折する(使用が制限されている道路)
岐阜方面からお越しの方
19号線を名古屋方面へ
春日井インター東(交差点)を右折して国道155号に入る
下原町東(交差点)を左折して県道196号に入る
右折する(使用が制限されている道路)